clown


 色んな事を超えたい、と思う。

 為に成る事、とか。役に立つ事、とか。退屈だ、と。

 こうすればいい、なんて、血の繋がった誰も言ってはくれなかった。親でさえも。近いことを言われた記憶はある。こうしろ、と。それがいいことのようには思えなかった。だから、しなかった。別に、ただ、それだけ。

 誰にとって、それはよかったのか。しなかったから、答えは判らないまま、問うてもあまり意味はないと、そう思ったので、そのへんに、ぽいっと投げたままになっている。

 ポジショントークのようなことなのかな、ふと思う。こういうことをするな、迷惑だから、というその対極の、こうしろ、だったのかも、と思う。親父が壇上で、あれは誰なんだろう、という感じの、誰に対して話してるんだろう、そういう印象の語りを、長いお話をただ聞かされているということは、恒例行事のようにそういう機会はあった。友達から、難しくてよく解らんわ、そう言われたことは幾度となくある。私も、自分の親ながらよく解らんげんて、そう返した。そういう場では、緊張して、声を震わせながらも、ペラペラとよく話す人ではあった。

 少なくとも、家で私達家族に見せる態度ではなかった。話について、触れることもなかったし、寧ろ、触れてくれるな、暗に釘を刺されているかのような印象。大した意味はなかったのかもしれない。覚えてないし、多分覚えていないのかも、そういう気はする。

 私が進学を拒んだので、そういう機会も無くなった。勝手にしろ、もう知らん、とだけ。言われた通りに、好き勝手やった。一切興味を持たれなかった。

 彼は―――そう呼んでしまうと、とも思うが、彼はずば抜けて頭が良かったのかも知れない。経歴を詐称していないのなら、そうなのだろう、と思うし。後年、改めて話をすると、世俗的な事に関して、ずばりと断定的な物言いをする。そして、それが強ち間違いではないと感じるのは、別に、彼のDNAを継いでるという、それだけではないのだろうな、と。

 お袋からは、その存在を真っ向から否定するような話を、強制的に聞かされたので、彼女は―――としか言いようがないのだが、面と向かって言えないようなことを私に話すので、そんなことを言われても、としか言いようがない。

 私はそういう育ち方をしたからなのか、二律背反ということについては、然程抵抗がない。そういうものだろう、という、それだけ。恐らく、それはあまり望ましいものではない、という理解ではいるのだが。

 個々の正しさの証としての話は、総じてそういうものだ、と思う。故に私はSNSからフェードアウトするし、現実的には、あらゆる一切と関わりたくはない。ただ、ソーシャルスタンスとして、そういうわけにもいかないので。あらゆるコミュニケーションは、私にとって然程意味がない。だから面白可笑しく茶化してるし、真に受けていないので、そんな微細な正しさとか。

 説明するくらいなら、やって見せて終わりにしたい。話すこと、語ることで、主観化されて、誤解されるくらいなら。

 明日からのOJTに向けて、業務マニュアルを作っていた。日数がタイトなこと、そして役に立たないと管理者がまた苛立つだろうと、話すこと、語ることで、誤解されないよう、文書化して、逃げ道を断った。書かれてある通りに出来るなら、するだろうし。一通り書き終えて、休憩時間に入る人に、添削を請うた。成程と思える指摘があり、その通り手直しを入れた。誤解されないよう見せてみただけだ。ストイックさが理解されないことを、身をもって知っているので。それは価値がないし、意味もないということを。

 正しいということも、また。

 この項については、ただ単に、書いておかないと、そう思ったので。書き遺しておきたいと、敢えて言い換えるなら、このノートは遺書のようなものでしかない。別に、誰かに見せたいとか、ひけらかしたいとか、そういう類の物ではない、ただそれだけ。

 ただ、それだけです。 


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