外様の空気 – 金沢人が抱える「表裏」
前田利家公は外様大名として名を馳せたが、「外様」というのは現代語で言い換えるなら「孤独」である。従うべきことは従うのだが、一言添えることを忘れない。それは「従った」という事を持ち帰る際に、説明できないからである。家臣に言い訳が立たないのだ。「わしはこう言うたがや。それをどう思うかは知らんげんて。まあ、大筋こうやし頼みますわ」そう言った、かどうかは知らないが。
経済的な豊かさを維持する上で、手の内をひけらかすような事は決してしない。見せないし見えないから切磋琢磨できるのであり。隣の家との距離感は遠くないが、隔てた壁を越えるのは中々に難しい、そういう空気がある。
風が強い所であるし、風が淀む所でもある。白山連峰から南部に連なる山々に吹き付けるか、そこを越えてくるか、その何れでもないか。風が舞いそれによって日々雲の出方が異なり、一日のうちに多様に変化する。あらゆる気象条件が揃う所でもある。冬の雷、強い季節風に舞い降り積もる雪、雨が混じり、花が咲き誇り、梅雨なのに雨が降らず、かと思えば夏なのに梅雨が明けず、だらだらと、蒸し蒸しと、山越えに吹き下ろす熱風の夏、突如の夕立、早く訪れ長く続く秋、そして冬の雷、という風に。そこから物事は一筋縄ではないという事を誰しもが「体感」する。故に、朝起きればまず空模様を観るし、それが仮に雲一つ無くとも雨の可能性を疑わないのが金沢人の「経験則」である。観光産業が発展した今日、「弁当忘れても…」はリップサービスでしかないのだが。
環境が人を育むのであるから、柔軟性に富む対応が出来てしまう。仕事にしても何にしても対応力が高いのだろう、とは思う。それが必ずしも良い事のようには思えないのだが。そのままの姿を他所の地域で見せようものなら、忽ちに誤解を招く。多くを語らず仕事に打ち込み、後付けで和を保つべく愚痴を零す、というような朴訥で温和な人柄が、空気の冷えた場所では異質に見える、のかも知れない。持ち得ない「他意」を感じてしまうのだとしたら、それは仕事に、どんな仕事であれ誇りを抱きお互いを尊重する文化圏であるから、なのかも知れない。
年が明けて。何か仕事が遅い、遅かった的な事を口々に言われたような印象。振り返るとあの日に物量はかなり集中したのだが、別に誰しも私の仕事振りを指摘するという意図では無かったのかも知れない。許容される範囲の遅れを一々気にしないし、そういう時だからこそ丁寧さも大事かと思うし、普段のペースでやっただけなのだが、所詮この仕事は何時戻ってきたかとか早い遅いとか「その程度」なのだと再認識し、修正を施した。手順を一つ省いただけなのだが「交通の流れ」に一つ早く乗り続ければ、結果は見違えるほど早くなるというだけの事。
私の仕事を誰も何も言わなくなった(笑)それは手に取るように「実感」する。あれ?とか、おや?とか、ん?とか、そういう視線は屡々。別に何も急いでおらず、うん、走ったりとかもしておらず(笑)アクセル踏みまくりとかでもなく。私自身、へえ、こんなに詰まるんだな、と。
言われなくなったのは、まあ静かで良いのだが(笑)荷降ろしを手伝って貰えなくもなった(´;ω;`)手伝ってくれる人より早く戻ってきてしまうので、手伝われようがない(笑)で、居ても「余り」手伝われないという、よく解らない状況ではある。特段手伝ってくれとか、言った覚えも言うつもりも無く。
相対性理論(笑)
個人的な印象ですが、私が接してきた「大人達」って皆倫理的に「立ってた」。それはもう昔の事なのかもだけど。「だらや…」と言えてしまう強さ、相互監視が効いたピリピリした空気、イントネーションと緩い会話で限りなく薄めてはいたが「割と特異な地域」だと思う。
さて置き、少子高齢化が問題になっていますが、先ず私の話をすれば、エロで生きてきたと言っても過言では無いのに子供は居ません。「様々な事情」を鑑み設けないという判断をしたというだけです。これ以上はデリケートな問題になるので触れません。その上で。
優先しなかっただけ社会的に、なんだと思うんですね。構造的には優先しなきゃならなかった筈なんですが、社会進出とか、自由とか、「私は」とか、そういう空気は有った筈なんです、確実に。子供は可愛いし、授かれば産むだろうし、でも大勢としてそうならなかったからここまで目に見えて減ってしまった、というだけのことなんですが。世代的には、私らが余りにも産まなかったのでその世代が幾ら産んでも限界は有るよね、という感じ。
社会が人を「コスト計算」してしまうと、どうしても「削ってしまう」つまり人口減少が是となってしまう。私らが思春期の頃は「家族計画」なる言葉が存在しました。人がコストなら人件費さえコスト、それが現代社会の歪みです。今更幾ら教育費養育費を無償化した所で、というかコストをペイする為に搔き集めた税金を闇雲に転用しているだけで、場当たり的だし計画性を欠いている。なんで人様の子供の養育費を「高校の授業料を」税で負担しなきゃなんないの?吸い上げ過ぎているから分配できるのであり、それを止めた方が理に適うし自由度が増します。自由じゃないのに貴女子供産みますか?という話。
算盤弾くべき人は弾けばいいが皆が算盤弾き出すと、って事だと思うんですが。試算はあくまで試算に過ぎない。
結果をグジグジ言っててもしょうがなくて、じゃあ具体的にどう増やせるか、って言ったら増やすことに貢献したら素直に評価して見返り与えれば、ってだけですね。一人一千万円くらい、150万人生まれれば15兆円、10人産んで億り人なら産む人いるんじゃないの(笑)今しなきゃなんないのはこれ以上細るとヤバいよ、ってだけ。皆が皆産みまくって財政破綻したらそれは草www
まあ女性の社会進出に全振りした結果なので。各々が「私にしか出来ない事」をすればいいだけかと。なんかやったもん負けみたいな空気は違うかなと。そう思います。