世の中にはまぁ、色んな方がいます。十人十色、機械ではなく生き物なので、感情の発露、乃至は思考回路の出力として言葉を発したり表情に表したり態度で示したり、そういう生き物の集合体がこの世の中なので、なかなか手強いというか難しいというか、困り事が多いです。プライベートなら関わらないだけですが、仕事となるとそうもいかないので。
多様性という言葉が独り歩きし過ぎて「浮遊している」と感じる昨今ですが、多様性を認めるならばそれは「寛容な社会」ということだろう、と私は解釈します。新しい考え方が生まれれば価値観は変わっていきます。時折、懐古主義か時代錯誤か、と思うようなものもありますが、概ね私たちは古びたものを捨てる傾向にあると、社会は常にそう変化しているのだと思うのですが。
生きる権利
誰もが綺麗事を言います。特に何かを決めたり、必要に迫られた時に、無難な綺麗事を提示してその場を免れます。その最たるものは基本的人権の尊重ですよね。権利として平等であるとか、対等であるとか、聞こえはいいのですが真に受けるとえらい目に遭います(笑)なのでコミュニティという単位で、零れ落ちる人は必ずいます。排除することで、生きやすく生きるそれもまた自由であり権利なので。
平等に扱われない人が出てくるわけです。一人や二人ではなく、それなりの数になります。その立ち位置に立ってみると、話が違うじゃん、おかしいじゃん、となるわけです。でも基本的に排除されているので、その声は届かないんですよね、誰かが聞こうとしない限りは。そういう方たちを社会的弱者と定義しましょうか、弱いから弱者なのですが、それなりの数いるわけでその方たちが声を上げ、それが共感をよべば、そこにまた一つのコミュニティが生まれます。彼らは彼らの権利をそこでようやく主張できるわけです。なんかメンドクサイ流れ(笑)
さて、そこから零れ落ちた人はどうするか、です。平等とか対等とか、ほぼ実感できません。精神的にも経済的にも追い詰められるわけなので。そこでそれを社会的に助けてあげようか、ということになります。でないと前提が嘘になってしまうからです。人権を尊重してあげましょう、というちょっとズレた感じの扱いで、そういうのが生活保護とか、社会支援とか、社会福祉とかになるんですね。さあ、その救済制度ですべてカバーできるかどうか(笑)
茶化してるわけではないんですが、これだけの数の人がいて、その人が「能動的」ならいいんですが、そうではない人もいるので、それは必ずいます。その人を特定できるか、それは大変な作業になるんですね。なぜ私がこんな面倒極まりないことをつらつら書いているか。
精神疾患という「烙印」
私の叔父にそういう方がいるから、なんですね。しかも二人。子供の頃―――1970年代、私が小学校へ上がる前後の話ですが、その頃から、この人なんでいつも家にいるんだろう?って感じで見てました。私の父の弟になりますね。私はおばあちゃん子だったので、夕飯の時間までを父の実家で過ごすことが多く、そこで叔父さんとのやりとりがありました。一人は父の次弟で、一応朝、父の経営する小さな会社へ行くんですが、誰よりも早く帰ってきちゃうんです。お昼過ぎにはもう、って感じです。仕事的にはたぶん何もできてないんでしょうね。普段は私も学校に通ってるので、そのことに気づきませんでした。夏休みとかですね、そういうことを知るのは。伯母がいとこを連れて割と長い間滞在していたので、一緒に遊んだりするんですが、すると叔父さんがいるんです、朝から晩まで。出勤すらしない(笑)どうせすぐ帰ってくるんだから、行っても行かなくても一緒やん、的な(笑)
母が私に口酸っぱく「あんまりおばあちゃん家に行っちゃだめよ」と言ったのは、叔父さんの存在を見せたくなかったからなのかなあ、今振り返るとそんなことを思います。一人はそんな感じです。で、もう一人いるんですね、ヤバめの人が。
髪ボサボサ、髭ボウボウ、下着(ステテコ)姿のガリガリに痩せたその方が父の長弟にあたるんですが、まず喋りません、基本的に。そして、座るでも寝っ転がるでもないんですね。ずっと縁側に立って外を見ています。見晴らしが良いならまだしも、小さな庭があって用水路越しに向かいの家があるだけの風景です。そこにずーっと立ってるんです。少しだけ、落ち着かなさそうな感じで。
父は「アイツはダメだ」と言いました。伯母の旦那さんもお盆休みになると遊びに来られて、家庭内麻雀をよくしてました。ワイワイ楽しそうなんですが、面子は父、母、伯母の旦那さん、そして次弟の叔父です。それで固定です。長弟の叔父がそういう「輪に加わる」のを見た記憶は、一切ありません。
お昼にこっそり、即席麵を茹でてるのを見かけました。そこで遣り取りがありました。「(私の通称)も食べる?」「ううん、いい」それだけです。なぜこっそりと感じたのかといえば、日の当たらない薄暗い台所で、電気もつけず小さな鍋を火にかけて、その上に両手をかざして暖をとるその姿は「見ないでくれ」という無言の訴えでしたね、今思えば。あと一度叔父さんが自分の事を時間を掛けて話してくれた気がするのですが、あまり印象に残っていません。難しい話のように聞こえて小学生の私にはよく解らなかったんです。ごく稀に出掛けて、帰ってくると髪が短く整えられて、髭も剃られていました。
父に長弟の叔父さんのことを訊くと「関わり合いになるな、アイツはおかしい」とだけ言います。後々考えてみると、叔父は「精神的疾患を持っていたのかも」しれません。
二人とも、学歴はあった人、ちゃんと勉強はされた人です。次弟の叔父は在学中に祖父が亡くなって急に田舎に呼び戻された、傍目にちょっと可哀想だったみたいなことを後日母から聞いたような気がします。その頃にはもう嫁いでいたので、ただ、祖父の遺言だったのか、父がそうしたのか、そこまでは知りません。
職場に「精神疾患、発達障害」の烙印を押された方がいます。委託元の若い子です。普通に働いてるというか、まあ力仕事なので動けなきゃ役には立ちませんが、そういう目で見る必要もないですし、個人的には余計な情報です。最近彼から「苦情」を言われることが多く、それは仕事を請けている私たちの職務内容についてであり、委託元に所属する立場の彼から言われることなので、一応報告するわけです。すると「気にするな、相手にするな」という指示が下りてきます。上からの苦情を相手にするなと言われても、私としては困るんですがね。そういう遣り取りが何回かあり、相手にするなと指示されたのは承知の上で逐一報告を上げ、最終的に説明されたのが、そういう烙印であり、そういう認識の下で対応してください、ということでした。話を詰めていった結果として、そのような事情がようやく浮かび上がり「断定」されたわけです。
私はそういう目で人を観たくないです。断定はしたくない。独り言が多いとか、仕事中にキレてたりとか、そういうのは目にしていましたが、説明が無ければ決めつけることはできません。個人的な印象であり偏見に過ぎないと思うので。ハンディを理解してもらった上で採用されたという経緯を聞き、それならそのように断定されることもあり得ますし、双方承知の上での話でしょうからそれはいいんですが、子供の視線で、甥の視点として、自分の叔父さんにあたる人をそう断定することはありません。する必要もないですし、話せば普通に接してくれますし、印象としてどうであろうと偏見は良くないと思いますから。ただ、一般的に血の繋がりがない人、例えば嫁いだ母からどう見えていたかというのは、母が話す叔父達の印象は突き放した冷たいものですし、父にしても自分の弟たちがどう見えていて、もしくはどう変化していったのか、お医者さんにかかっていたのか、私が幼少の頃を過ごした街はそういう病に対して冷淡でしたし、何かにつけ精神病院に連れていくという「脅し」を受けながら育ったので。昨今の風潮からは想像もつかないと思いますが、理解されなくとも致し方ないという前提の上でそういう方が現実としているわけです。二人の叔父は高齢になり、今は寝たきりで介護を要する状態です。意思疎通すら難しいという話を聞きました。
容赦することの難しさ
私は自分が書くことについて、基本的に反応を求めていません。誰が何をどう感じようが自由だろうと思うからです。その前提で、敢えて問いかけましょうか、貴方は「この方たち」を認めますか?委託先の人間を含めたそれを知り得るあらゆる方から精神疾患の烙印を押され、言動について「関わるな」という指示が出る状況で働く人、そして働かないどころか、家から出ることもほぼなく、社会的に認知されず、生活保護も受けられず、遂には動けなくなり、介助無しでは生きることさえ難しいと思われる人を。
私が知る限り三人もいるわけです。認識としては(関係性が薄いという意味です)もう何人かいます。この世の中にそういう方がどれだけ存在するか。恐らくですが、貴方が思うより「遥かに多い」はずです。
私の叔父達に関しては、今は介護サービスを受けているので統計的にカウントされている可能性が高いですが、それ以前はそういうものから漏れていたはずです。父が経済的に彼らを養えるために、彼らは公的な「救済措置」を受けることができませんでした。偏見に満ち、人の噂がすぐ広まってしまう土地柄で、精神障害者としての「救済」は敷居が高く、それ無くしては生きることが困難でもなければ敢えて選択しませんし、する必要がなかっただけ恵まれていてまだマシな部類、という解釈で良いのだと思いますが、そのように社会から溢れてしまう「曖昧な方たち」が事実存在するわけです。それを認めてしまうと社会は非常に混乱するでしょうね。平等に扱う必要がなかった人を扱わなければならなくなるので。
例えば殺人事件、親を殺めた子供のニュースを目にしたりします。〇〇代無職とかの肩書で呼ばれます。その度に、私は二人の叔父のことを思い出します。事を起こせばまだその存在が社会的に認知されます。起こさない方はどうでしょうか。私は、そして貴方は、そして社会は、真の意味でのサイレント・マジョリティーを受け入れられるのか。身内からすら「隠された存在」を明るみにできるのか。そのことに意味はあるか。必要性はあるか。具体的にどうするのか。誰もが納得するのか―――
それができるなら、それは「寛容な社会」であると個人的に思います。
