繫忙期の休みなので、事務的な一日。確認しながら、漏れが無い様に。年末でもあるので、少し整えながら。
大井も、中山も、川崎も、仁川も全く観ないまま。私は評論家じゃないので、断片として落ちてしまっても、別に。
そういう気分ではなかった、それが続いた、それだけ。私とは、断片。思考は要らない、動け、動け、動いて感じろ。
2013年12月23日
魂とか、霊とか
天国とか、地獄とか
神とか、仏とか
輪廻転生とか
おぼろげで、ありそうで、なさそうで、不確かなもの
私にはわからないもの
たとえば、私が誰かに生まれ変わったとしたら、そのひとは不幸だろう
たとえば、私が誰かの生まれ変わりなのだとしたら
そのひとは、不幸であったことだったろう
だから、そんなものはないほうがいい、と思っている
あるのなら、しかたのないことだけれど、ないほうがいいと
そう思っている
けれど、一度だけ
一度だけ、私は霊のようなものをみたことがある
死んでしまった人の、死にきれなかった想い
私がハンドルを握っていた車の真後ろの座席に
確かに、そこに、いた
ふと、小さなバックミラーに、それが映りこんでいた
彼女は、確かに、そこに、いた
ほかの誰にも、見えなかったのだけれど
ほかの誰もが、気づかなかったのだけれど
あれは、初詣の帰りで、東名を走らせていたときだった
彼女は、その近くに住んでいて、首を括って死んだ
お墓のある方向へ、戻る途中だった
整った顔立ちの彼女は、静かに微笑みながら
窓の外を眺めていた
ああ、一緒に戻りたいのかな、と思った
けれど、もう一度鏡に目をやったときに、もう
彼女はいなかった
彼女と空間を共にした時間は、ほんの僅かだった
ああ、彼女は、どこへいってしまったのだろう
私にはわからない
けれど、彼女には行くべきところがあったのかな
そんなことを思いながら、帰路のハンドルを握り続けた
彼女は、私の妻の、"親友"、だった
彼女はどこへいってしまったのだろう
彼女が行くべきところがあったなら、それはどこだったのだろう
そんなことは、ないほうがいいと、思っているけれど
きっと、そういうことはあってしまうのだろう
私が自死しようとしたときに、意識のない私が取った謎の行動も
気づいたら私が救急車に乗せられていたことも
なにかの因果かな、そう思っている
もし、私が、"次"、に行くべきところがあるなら、それはどこだろうか
きっと、それを私は選べないのだろう
選ぶことができてしまったなら、それはとても退屈なことだろう
ないほうがいいと、そう思ってはいる、けれど
おなじようなことを繰り返すぐらいなら
これでもか、これでもかと、過ちを繰り返すぐらいなら
"私"、には価値がないと思う
他人(ひと)の肉体を支配するだけの価値は、皆無だと思う
だから、私は、あの空を、流れる雲をぼんやりと眺めていたときに
これまでと違うことをしなければならない、と思った
私が私でなくなるようでなければならないと思った
今、私がそうなのかどうか、私にはわからない
これから、私がそうでありうるのか、私にはわからない
私のなにもかもが、あらゆるすべてが終わったときに
初めてすべてがわかるのだろう、と
なさそうで、ありそうで、おぼろげで、不確かで
私にはわからないこと、だけれど
それ以前に
なさそうでありそうなことが、ありうるのだと、そう思うと
私は私でなくならなければならないのだから
なにがどうであれ、それは大したことではないのだろう
結果から導き出される手段、ではないのだから
辿るように、伝うように
視界のない、なにも見えない世界を
恐る恐る、這いつくばるように
どこへいくのだ、私は
わからないどこかへと向かうのだ
(2025年12月25日追記)
私が保管庫から敢えてこの記事を引っ張り出したのは、彼女が亡くなってだいぶ経つのだがその事で未だに「引っ掛かって、しまう」そして苦しむのを時折目の当たりにしているから。
宗教観も、死生観も、そのようなありとあらゆる事を押し付けたりする筈がなく、できる筈もなく。身近で在れば在るほど、そして当然、誰にも。この時代、それは書いておかなければならないのかな、ふとそう思ったので。
