すべての物事を調整する、バランスを考えて、負担を考えて、少しずつ前へ進めるようにあらゆる事をチューニングすることが、私の役目なのかなと思います。それぞれに事情があり、要望があり、現実もあり、ちょっとだけ我慢もしてもらい、それでもまだ前へ進めるような、希望も抱けるような、そういうチームみたいなものになっていけばいいのかなと。
そこに我を通すことはあまり意味はないのだろうと。私の存在はまあ、いい加減で適当なので。曖昧で、難解なので。きっと誰もに理解されることはないのだろうと想像します。その辺については、とうに諦めているので。だからずいっと前へ出てみたり、少し引いてみたりして、リアクションを確かめなければならないですね。確認してみた上で、改めて踏むところは踏めばいいし。
手を掛ければ掛けた分だけ、穂が実ればいいですね。それは私が豊かになることとは、多分違うのだろうという風に想像します。サクリファイスでもなく、カタルシスでもなく、モヤっとした霧のようなもので包み込むような、よくわからない感じ、というイメージです。イニシアティブを取るわけでもなく、取らないのでもなく、パーソナリティだけを押し出すような、そんな感じですかね。
所詮はみな個人なので。そういう「色」が出ればいいのかなあ。チューニングというよりは、脚色という感じ。モノクロームよりはセピアの方が温かみがあるように。現実とは冷たく残酷な世界なので。そういう「嘘」が必要なんだという確信があります。私は基本的に嘘吐きなので、素直にそうすればいいということ。フェイクフェイクフェイク、現実において、何が真実かなんてどうでもいいよね。
そんなものはない、から。
面倒臭いことがそんなに嫌いではないから。結果として面倒臭くなってしまっていると、すこしニヤッとします(笑)
まあでも、それを私以外の誰かがやった方がいいと思うんですけどね。責から逃れる流れに乗ってみたいな、なんて思ってみたり。
少し寝れました。今日の仕事に備えましょうか。秋が始まった10月が終わり、秋の終わる11月が始まります。
