目つきと痕跡

 目は口程に物を言う。

 母親から「話す時は相手の目を見なさい」と口酸っぱく言われて育った。教員資格を持ち、その道へは進まなかった人なのだが。私は現在カテゴリ的には運送職だが、不特定多数と接する、否、強いて言えば「擦れ違う」為、人々の目に警戒感を持ち尚且つ全てがお客様となり得る。更に「危険察知」の観点から歩行者、自転車に乗る方、対向車の運転手の「目」を常に見る。

 その人の状態、思考、企み迄と言ったら過言かも知れないが。残念ながら「全て目に出ている」。

 無論全能の神では無く。「全て判る」とは言わないが、判断材料としての話。

 目の表情は変える事が出来る。意識的に「使い分けている」方も多いだろう。仕事一つ取っても、顧客と向き合う目、事務的に作業する時の目、打ち合わせ、上司、経営者、様々なシチュエーションが有る。通勤移動中の目、スマホを見る目、本を読む目、等々。友人と、恋人と、配偶者に対して、子供、親。

 具体的には、攻撃か防御か、話すのか聞くのか、拒むのか受け入れるのか、外向と内省、赦すのか否か、等々。

 馬券検討と、ゲートが開いて、そして着順確定後、とか(笑)

 中には「私はクールだから」という向きも居るだろうが、然し、然し。

 面白いものである。

 寧ろ気になるのは、その目に至った経緯、言う程の興味も無いのだが。当然に各々異なるので。十人十色、接するだけで果たして何人居ると思って。直向きに課題を越えて来た人、躓いた人、屈した人。悩んだ人、病んだ人。紆余曲折を経て。

 野望を秘め、成した人とか。

 視線を逸らした方が良い、と感じる事が多い昨今。

 最近TVや他のメディアを見て「引っ掛かる」のは、トランプ氏である。単に露出が多いからなのかも知れないが。私個人として言わせて貰うなら「とんでもない目」をして居る。目に付くし、目に余る。そして、私などが如何思おうが何を言おうが勝手である。

 僭越が過ぎるが、天皇陛下の目を拝見すると、安心する。叶うなら、叶うなら人の上に立って頂きたく、心底そう思う。

 B-logとしては此処迄。十分過ぎるくらい書き遺したので、各々が考える切っ掛けに成れば。

 このエントリを書こうと思ったのは、先日帰省して親父の目を確認して来たからなのだが。体の衰えは致し方無いが、目は確りして居た。


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