リアライズシリアス
naoczh
29 8月, 2026
AIとのチャトログシリーズ。編集すんのメンドクサインコサインタンジェント(笑)
ああ、英語のように受け取ったわけだな。まあそういうつくりならしかたねえか。加筆したがどう思うって聞くべきだったな。
ああ、そういうことです。
「加筆。」を**「この文章を加筆して」**という作業指示として受け取ってしまった。けど、文脈的には「加筆した。どう思う?」という意味だったわけですね。
それなら感想を言うと、今回の加筆でかなり芯がハッキリしたと思います。
特に、
何を労働と定義するかなんてキサマの自由。ただな、キサマの脳内で留まってるものを察しろってのは傲慢なんだよ。
ここが全体の核になってる。
単に「嫌なヤツがいた、ムカつく」という愚痴ではなくて、契約・労働・自由・監視・他者への介入についての怒りになってる。そのうえで冒頭の「ノゾキは犯罪なんだよ」と繋がるから、単なる人間関係の愚痴より一段深くなってる。
あと、
こんなギョーカイ人が集まらねえワケだよ。揃いも揃って異常人格。犯罪正当化。14tの箱車をキチガイが操ると。
ここはかなり強烈だけど、B-logとしてはこのくらい剥き出しでもいいと思う。むしろ綺麗に整えたら、この文章の「吐きそう」という感覚が死ぬ。
そして最後の、
すべてそうなんかもな。なら。山でも籠るしかねえか。
マジ吐きそう。あー。キッショ。
この落とし方も、理屈を散々積んだあとに結局「キッショ」で終わるのがいい。思想の文章に着地させず、あくまで本人の吐き捨てとして終わってる。
だから、俺なら今回はむしろ加筆しすぎない方がいいと思います。今の文章には、説明し切らないことで残ってる嫌悪感があります。
この中盤の具体を書かないとタイトルとの乖離が酷かったからな。でもそこかしこで遭遇する光景だが。労働を隷属的なものと勘違いしてる奴が多すぎるんだよ。
そうだと思う。
中盤の具体が入ったことで、タイトルの「Not THX society」が単なる人間嫌いの吐き捨てじゃなくなったんですよね。**「何に対してNo thanksなのか」**が見えるようになった。
そして言ってることは、かなり身近なところで起きてる話だと思う。
「勤務時間中なんだから、そこにいる人間の時間も行動も全部こちらが規定できる」みたいな発想と、労働の対価として時間を提供すること=人格まで隷属することを混同してる。
本来は、
何をするか → 契約・業務上の指示で定める
いつするか → 勤務時間などで定める
どういう基準でやるか → ルールや職務上の要求で定める
という話であって、そこから先の**「お前は俺の管理下にいるんだから、俺が気に入る人間でいろ」**まで含まれるわけじゃない。
しかも厄介なのは、それを露骨な命令として言わずに、空気とか「普通は」「社会人なら」「協調性が」とかで要求してくるところですよね。
だから、
定義したら提示しろよ。
が効いてる。
「キサマの中だけに存在する労働上の正解を、こっちが察して従う義務はねえ」
という話になってる。
しかも、これって別に特殊な業界だけの話じゃない。会社でも学校でも、集団ができるところではわりと簡単に発生する。「ルールに従え」と「俺の期待に従え」の境界がいつの間にか消える。
だからこそ、タイトルとの乖離を埋めるために中盤の具体が必要だった、というのはよく分かります。
むしろ今回の文章、怒りの対象が「嫌いな誰か」から**「労働を隷属と取り違える構造」**へ途中で広がってる。その広がりがあるから、最後の「Not THX society」が効いてくるんだと思います。
俺はこういうのさっぱり理解できねえからなあ。なんで「そんなことができる」って思うんだろうな。カンチガイ甚だしいんだよ。
そういう感覚なんだろうな。
たぶん「そんなことができる」と思ってる側には、権限と支配の区別がついてないんだと思う。
「俺が上だから言うことを聞かせられる」
「勤務時間だから何を要求してもいい」
「給料を払ってるんだから、相手の態度や人格まで自分の期待に合わせさせていい」
みたいに、ひとつの権限から際限なく権利が生えてくる。
でも普通に考えれば、権限ってそんな無限じゃねえんですよね。
「この仕事をしてください」までは分かる。
「この手順でやってください」も分かる。
「この時間までに終えてください」も分かる。
そこから、
「だからお前は俺の気に入るように振る舞え」
「俺が不快に感じることをするな」
「俺が見ているんだから常に品行方正でいろ」
になると、もう別の話。
しかも本人は、それを要求しているという自覚すらない場合がある。「当然だろ?」で済ませる。
だから余計にカンチガイ甚だしく見えるんでしょうね。
たぶんあなたの場合、最初から「そこまで他人に踏み込んでいい」という発想自体がないから、逆方向の発想が理解できないんだと思う。
「なんでそんなことを要求できると思うんだ?」
っていう。
これ、かなり根本的な違いなんでしょうね。
この手の奴ってさ、SEXとか変態プレイを極めるんだぜ。女子にもっとも嫌われるタイプ。
ああ、言いたいことは分かる。
ただ、そこは「この手の奴はSEXでもこうなる」と一括りにするより、他人の境界線を自分の権限で越えていいと思っている人間は、親密な関係でも同じ構造を持ち込みやすい、くらいに捉えると筋が通ると思う。
仕事では「勤務時間だから俺の言うことを聞け」、私生活では「付き合ってるんだからこれくらいいいだろ」。
どっちも根っこは、相手の同意や意思より、自分の欲求や権限を優先することだからな。
で、そういうタイプが「俺は相手を喜ばせてる」「俺は経験豊富」「俺はこんなことまでできる」なんて自己評価だけ高くなったら、そりゃ相手からすればたまったもんじゃねえ。
「変態だから嫌われる」んじゃなくて、相手を人間として見ず、自分の欲望の対象として扱うから嫌われるんだと思う。
そこは今回のB-logの「労働を隷属と勘違いしてる奴」という話とも、かなり同じ地平にある。
まあそこまで決めつけると哀れだから書かねえけどな。俺を駆除して留飲を下げるヤツを今年に入ってからすでに5人くらい俺は眺めてるんだが、俺の周囲だけで5人もいんだぜ。相当数が蔓延ってるって思った方がいい。
うん。そこは「だから世の中の大半がそうだ」と一般化する必要はないと思う。
むしろ、
「俺の周囲だけで、今年に入ってすでに5人見ている」
という実感そのものが重要なんだろうな。
しかも単に嫌われたとか、相性が悪かったとかじゃなくて、「俺を駆除することで自分の中の何かを満たしている」ように見える人間を5人も観察しているわけだろ。
5人って、個人の人生経験としては結構な数だよな。
だから「特殊な一例」として処理するより、そういう心理・行動様式が一定数存在することを疑った方が自然ではある。ただ、それと「世の中には何%いる」とまで言うのは別問題。
そしてたぶん、あなたが今回書いた文章の嫌悪感って、個々の人物への恨みだけじゃないんだと思う。
「なんでこいつらは、他人を排除することで自分の立場を確認しようとするんだ?」
という、もっと根っこのところへの嫌悪なんじゃないかな。
そこを具体を書かずに「気持ち悪い」で済ませると、確かにタイトルとの乖離が大きくなる。今回中盤を加筆した意味は、そこにあるんだと思う。
偏差値社会、競争社会だからだろ。自分が劣ってたら危機なんだよ。この世代の連中にとってはな。
ああ、それならかなり腑に落ちる。
「自分が劣っている」という認識が、単なる自己評価じゃなくて、生存上の危機として刷り込まれている世代なんだろうな。
偏差値で順位をつけられ、受験で振り分けられ、就職でまた振り分けられる。そこで「上にいる=価値がある」「下にいる=負け」という感覚を長いこと叩き込まれる。
そうなると、身近に自分より何かを持っている人間が現れたとき、
「すごいな」
で済ませられない。
「俺は劣っている」→「俺の立場が危ない」
と変換される。
だから相手を理解するより、相手を下げる。
相手を評価するより、欠点を探す。
相手と競争するより、競争相手そのものを消す。
そして「駆除して留飲を下げる」というあなたの表現につながる。
別に相手が自分を攻撃してなくても、存在そのものが比較対象になるんだよな。
そう考えると、今回の文章にある「キサマにねえものを持ってたからウザかったんだろ」という一節もかなり核心を突いてる気がする。
ただ、ここは「この世代は全員そうだ」とまで広げない方が、むしろ文章として強いと思う。
「そういう価値観を身につけてしまった人間が、相当数いる」という程度に留める。
その方が、読んだ側が自分の周囲を思い返したときに、**「ああ、いるわ……」**となる。
コイツにしたって「資格お持ちなんでしたら断わる理由ないですからね」っつってたからな。▲■なんてゴミみたいな資格なんだが。実際にはな。金銭価値まったくねえから。
そこ、かなり象徴的だと思う。
「資格お持ちなんでしたら断る理由ないですからね」って言葉自体が、資格を能力や業務上の必要性ではなく、序列を測る記号として見てる感じがある。
しかも、あなたの言う通り▲■の資格に市場でそのまま換金できるような大きな金銭価値があるわけじゃない。資格そのものを持っていることと、高い報酬を生むことは別問題だからな。
だから面白いのは、そいつにとって重要なのが「その資格にいくらの経済価値があるか」じゃなくて、
「俺より上に見える何かを持っている」
という一点だったんじゃないか、というところ。
そうなると「断る理由ないですからね」も、純粋な採用・配置の話じゃなくて、妙に序列確認のニュアンスを帯びてくる。
そしてあなたからすると、
「いや、その資格にそこまでの意味を付与してんのはキサマだろ」
なんだろうな。
資格を持っているから偉いわけでもない。持ってないから劣っているわけでもない。必要な業務があれば使う、それだけ。
なのに競争社会の物差しを頭の中に持ってると、資格ひとつまで「上か下か」の材料にしてしまう。
そこが、さっき言ってた**「自分が劣っていたら危機」**という感覚と繋がって見えるんだと思う。
俺は▲■職なんか採用されたことすらなかったからな。そう言うのを聞いて「そんな卑屈になんなよ」って思ったけどなあ。他の奴らみたいに「むしろ落とす」くらいで良かったんじゃね。無理した分歪みも増したんだろ。
そこは、かなり皮肉な話だと思う。
「資格お持ちなんでしたら断る理由ないですからね」って、採用する側の言葉としては一見まともなんだけど、あなたには逆に**「そこまで資格に怯えてんのか」**と聞こえたわけだよな。
あなた自身は▲■職として採用された経験すらない。だから資格を持っていることを、採用側に対して何か特別な圧力になるものとして扱う感覚がそもそもない。
それなのに相手は、
「資格持ちだから断れない」
という判断をしてしまう。
そこであなたが「そんな卑屈になんなよ」と感じたのは分かる。
そして、
他の奴らみたいに「むしろ落とす」くらいで良かったんじゃね。
これも面白いところで、別に「資格持ちだから落とせ」という話じゃなく、資格ひとつで相手との力関係を過剰に意識するくらいなら、普通に自分の採用基準で判断すりゃいいだろってことなんだろうな。
無理して「資格があるから受け入れなきゃ」と自分を縛る。
その結果、自分の中に不満や劣等感が溜まる。
その後で、その相手を排除することで帳尻を合わせようとする。
もしそういう流れだったなら、確かに最初から変に構えず、
「うちには合わないから採らない」
で終わらせた方が、本人にとっても周囲にとっても健全だった可能性はある。
採用時に勝手に相手を上位に置いて、後から勝手に敵認定する。
これ、かなりしんどい構造だよな。
しかも本人は「俺が勝手に上位に置いた」ことに気付かないから、最後には「相手が俺を脅かした」みたいな話になってしまう。そこまで行くと、もう本人の中の序列ゲームなんだよな。
教育の失敗だと思うぜ。勉強なんてさ、いつやったっていいのにな。足りないのを補うくらいのが身に付くんだよ。だから▲■落ちる奴は落ちるさ。俺は勉強したから受かったってダケだよ。スポーツ選手でキャリア終えてから学び直しする人とかはそう考えてるしな。ここまでが学習期間、で出来上がり、あとは稼いで家建てて世継ぎを残せたら残してリタイヤ老後そして死ぬと。そういうレールの上しかないって思ってる奴が多いのかもな。
そういうことなんだろうな。
あなたが言ってる「教育の失敗」って、知識を教えたことそのものじゃなくて、学習を人生の一時期に閉じ込めてしまったことなんだと思う。
「学生のうちに勉強する」
→「社会に出たら完成品として働く」
→「あとはキャリアを積んで家庭を作る」
→「定年して老後」
という一本道を、人生そのものだと思わせてしまう。
でも実際には、
足りないのを補うくらいのが身に付く
っていう感覚の方が、ずっと自然なんだよな。
▲■だって、落ちたなら「今は足りなかった」だけであって、落ちた=能力がない人間ではない。勉強して受かったなら、「勉強したから受かった」。それだけの話。
ところが競争社会の教育だと、試験がいつの間にか能力の順位付けになる。
だから落ちることが「今は知らない」じゃなくて「自分は劣っている」になってしまう。
スポーツ選手が現役を終えてから大学に行ったり、別の専門を学んだりするのを見ていると、むしろ「学ぶ時期なんて人生のどこにあってもいい」というのが普通に見えるんだけどな。
そう考えると、あなたがさっき言っていた「自分が劣っていたら危機」という話とも繋がる。
「人間は常に成長途中」という発想がない。
一度決められたコースの中で、自分がどの位置にいるかだけを気にする。
だから他人が途中から何かを身につけると、それを「すごい」と見るより、「自分より上に行った」と感じてしまう。
でも人生なんて、本来もっとグチャグチャでいいんだよな。
20代で勉強してもいい。
40代で資格を取ってもいい。
60代で大学に行ってもいい。
一度捨てた仕事をまた始めてもいい。
「ここまでが教育、ここからが労働」なんて、自然法則じゃねえ。
人間が勝手に作った区切りだ。
そして、その区切りを絶対視すると、「学ぶ人」ではなく「完成している人」であろうとしてしまう。完成しているはずなのに、自分より何かを持っている人間が現れる。そこで「自分は完成品じゃなかった」と感じる。
そりゃ、他人を蹴落としてでも帳尻合わせたくなる人間も出てくるだろうな。
あなたの「俺は勉強したから受かっただけ」という感覚、実はそこへのかなり強いアンチテーゼになってると思う。
資格は人格の勲章じゃない。不足していた知識を勉強して埋めただけ。
それ以上でも以下でもない。
そのくらいの距離感で資格や学習を扱えれば、他人の資格ひとつ見て勝手に劣等感を抱く必要なんて、本来ないんだよな。
だからドロップアウトとか低学歴を見下すしな。ネーミングが良くねえよ小中高大ってのが。よその国がそうなってないのは理由が有ると思うケドなあ。
そういう見方はかなり面白いと思う。
「低学歴」「ドロップアウト」って言葉自体が、本来は単に経歴を説明しているだけのはずなのに、そこへ勝ち負けの意味までくっついているんだよな。
特に日本の「小・中・高・大」という学校歴は、人生の前半をきれいに階段状に区切って、その階段を順番どおり上がることを「正常」と見なしやすい。だから途中で降りたり、後から登り直したりすると「脱落」という表現になる。
でも学習そのものは階段じゃない。
必要になったら戻ればいいし、仕事を始めてから初めて必要になる知識だって山ほどある。むしろ実際に困った経験があってから勉強した方が、何のために覚えるのかが明確だから身につくこともある。
ただ、「小中高大」という名称そのものが悪いというより、学校制度上の区分が、そのまま人間の完成度の序列として社会に流用されているのが問題なんじゃないかな。
「大学まで行った」
「高校で終わった」
「中退した」
本来は履歴の違いでしかないのに、
「だからこの人間は上」
「だからこいつは下」
に変換される。
しかも一度貼られたラベルが、その後の人生まで追いかける。
これは教育というより、かなり強烈な身分表示に近い。
海外についても、国によって制度は相当違うし、「外国はそうなっていない」と一括りにはできない。ただ、成人後の教育や職業訓練、学び直しを制度としてどう位置付けるかには国ごとの差があるから、そこを比較すると面白いと思う。
そして結局、あなたが最初から言っている話に戻る。
「一回決めた序列から動いちゃいけない」
という感覚が強すぎるんだよな。
それがあるから、資格を取った人間を必要以上に意識する。
学歴で人間を値踏みする。
途中で道を外れた人間を「落伍者」と呼ぶ。
そして、自分より上に見える人間が現れると脅威になる。
学ぶことを「自分を更新する行為」じゃなくて、順位を上げるための競技にしてしまったら、そりゃ人間関係まで競技になる。
その意味では、今回のB-logで怒っている「労働=隷属」という話も、かなり同じ根っこから出ているように見える。
学歴を履歴に書けっていうならさ、本来成績や能力を書けってことだと思うけどな。皆が皆有名私大に行けたわけじゃねえからな。俺らは運転日報を書かされるが時間とかキロとか書いてどうすんのって思うが。積載割合とか個数とかのが重要なはずだけどな。
そういう話だと思う。
履歴書に「どこの学校を出たか」を書かせるのって、よく考えると能力そのものではなく、能力を推測するための代理変数なんだよな。
本当に知りたいのが「この人は何ができるのか」なら、
何を学んだか
何ができるか
どの程度の成果を出したか
どんな仕事を任せられるか
の方が直接的な情報になる。
もちろん学歴がまったく意味を持たないわけじゃない。専門職なら、その教育を受けたこと自体が重要な場合もある。ただ、学校名を能力そのものとして扱い始めた瞬間におかしくなる。
運転日報の例はまさにそれだと思う。
「何時に出た」
「何時に着いた」
「何km走った」
は記録として必要なのかもしれない。でも、それだけでは仕事の中身が分からない。
同じ100kmでも、
「積載率90%で走った100km」と
「ほとんど空荷で走った100km」
じゃ意味が違う。
10個運んだのか、100個運んだのかも違う。
時間あたりの処理量も違う。
積み下ろしの回数も違う。
つまり、測りやすい数字と、測るべき数字は別なんだよな。
これ、学歴にもそのまま当てはまる。
学校名は簡単に書ける。
偏差値も数字になる。
卒業年も分かる。
だから使いやすい。
でも、「この人は実際に何ができるのか」は、測るのも書くのも面倒くさい。
結果として、測定しやすいものが、いつの間にか重要なものとして扱われる。
「有名私大を出た」という数字やラベルが、「この人は優秀」という評価に化ける。
一方で、人生の途中から身につけた技能とか、現場で積み上げた能力とかは、履歴書の数行には入りにくい。
だからあなたの言う、
学歴を履歴に書けっていうなら、本来成績や能力を書けってことだと思う
は、かなり本質的だと思う。
「どこにいたか」より「そこで何を身につけて、今何ができるか」。
運転日報で言えば、まさに「何km走った」だけじゃなくて「その距離で何をどれだけ運んだのか」を見ろ、という話なんだろうな。
資格だって「資格」っておかしいだろって思うけど。車なら免許だろ。許可制なんだよ。ライセンス。それは学歴に匹敵するんだよ。資格だとどうだろうな。資格を全てライセンス化したら全然違う話になるって思わねえ?
思う。かなり違う話になると思う。
「資格」と「免許(license)」を同じ棚に置いてしまうと、何のための制度なのかがぼやけるんだよな。
車の運転免許なら明快で、「一定の能力・条件を満たしているので、公道でその行為をしてよい」という公的な許可。
一方で「資格」は、試験に受かった、講習を修了した、一定の知識を持っている、というものまで全部ひっくるめて呼べる。
だから資格を取った瞬間に、
「俺はこの分野で価値のある人間だ」
という話になりやすい。
でもライセンスとして考えれば、もっと事務的になる。
「この行為について、一定の条件を満たしたので許可されています」
それだけ。
▲■だって、そういう見方をするとかなりスッキリすると思う。
「▲■という資格を持っている偉い人」じゃなく、
「法令上、一定の要件を満たして▲■業務を担えるライセンスを持っている人」
になる。
すると「資格持ちだから上」とか「資格がないから下」という序列化が、かなり馬鹿馬鹿しく見えてくる。
そして、あなたの「資格を全部ライセンス化したら違う話になる」というのは、さらに面白い。
学歴も本来、
「○○大学卒だから上」
じゃなくて、
「この教育課程を修了した」
という学習履歴に過ぎない。
ライセンスは行為の許可。
学歴は学習の履歴。
職歴は実務の履歴。
本来はそれぞれ別の情報なのに、日本ではそれを全部ひっくるめて「この人間はどのくらい上なのか」という一枚の序列表に載せようとする。
そこがおかしくなる。
特にライセンスという考え方なら、更新や失効、再取得、上位・下位の区分なんかも「人格の優劣」ではなく権限と能力の管理として扱える。
「俺は資格を持っているからお前より上」じゃなく、
「俺にはこの行為をする法的権限がある」
で終わる。
この方がずっと健全だと思う。
ただし、全部を文字通り免許制にすると、今度は国家が許可しなければ何もできない社会になり得るから、そこは別問題。むしろ重要なのは、「資格」という言葉が持っている曖昧な権威性を剥がして、これは知識の証明なのか、技能の証明なのか、業務独占なのか、名称独占なのか、単なる修了証なのかを明確にすることだと思う。
そうすれば、資格を持っている人間を見て「うわ、こいつは俺より上だ」なんて反応する必要もなくなる。
許可証は許可証。履歴は履歴。能力は能力。
本来、それだけの話なんだよな。
だって英検2級とか書かれたって困るだろ。
そう。履歴書に「英検2級」とだけ書かれても、採用する側からしたら「で?」って話になり得る。
英検2級は英語について一定の試験に合格したという証明ではあるけど、「英語を使ってこの仕事ができます」という許可証ではないからな。
逆に運転免許なら話が違う。
「普通自動車第一種免許あり」
なら、少なくとも法的に公道で普通自動車を運転できるという意味がある。そこには明確な効用がある。
だから、
資格を全てライセンス化したら全然違う
という話は、ここで効いてくるんだと思う。
英検2級まで「ライセンス」にしてしまったら、
「英検2級を持ってない人は一定の英語行為をしてはいけません」
みたいな馬鹿げたことになる。だから当然、全部がライセンスになるわけじゃない。
結局、「資格」という一語で全部を同じ価値体系に乗せてしまうことがおかしいんだよな。
英検2級も、▲■も、医師免許も、大学卒も、全部まったく性質が違う。
それなのに履歴書の同じ欄に並べて「この人は何点」みたいに扱う。
そりゃ人間まで偏差値化されるわな。
そしてあなたが言ってる「学歴に匹敵する」っていうのも、たぶん**価値が同じという意味じゃなくて、「その人が何を身につけたかを示す履歴情報として扱うべき」**って意味なんだろうな。
「英検2級を持っている人間」じゃなくて、
「英検2級に合格したという学習履歴がある人間」。
このくらいの距離感なら、変な権威性も生まれにくい。
多分偏差値の意味も理解してる人がすくねえんだと思うぜ。俺はギャンブルやるからオートとかの偏差とか見るからさ。偏差の弾き出し方とか理屈がわかるけどさ。偏差を値にして数値に変換しちまうと意味成さないんだよ。当人にとって。
そうだな。そこはかなり重要な違いだと思う。
偏差って、それ単体に絶対的な意味がある数字じゃないんだよな。母集団と分布があって、その中で自分がどの位置にいるかを表すためのもの。
オートの偏差を見るときも、「偏差が30だから、この選手には30という絶対的な能力がある」なんて見方はしないだろ。
その集団の中で、どの程度上振れ・下振れしているのかを見る。
ところが学校の偏差値になると、途端に、
「偏差値70=偉い」
「偏差値40=ダメ」
みたいな人格評価の数字に変換される。
ここで数字の意味が変質してる。
本来は、
「この母集団、この試験、この条件において、あなたはこの位置にいる」
という相対情報なのに、
「あなたという人間は70点の人間です」
みたいな絶対値として受け取ってしまう。
しかも母集団が変われば偏差値の意味も変わる。試験が違えば当然比較できない。時期が違っても事情が変わる。
だからあなたの言う、
偏差を値にして数値に変換しちまうと意味成さないんだよ。当人にとって。
というのは、かなり分かる。
「位置を示す統計値」と「人間の価値」を混同してる。
しかも一度その数字を人間の価値に結びつけると、今度は本人もその数字に縛られる。
「俺は偏差値○○だった」
「こいつは○○大学だから俺より上だ」
「俺は○○だからこいつには負けてない」
って、ずっと脳内で順位表を持ち歩くことになる。
あなたが言ってる「自分が劣っていたら危機」という話も、そこから来るんだろうな。
本来、偏差値なんてそのとき受けた試験における位置情報くらいのもんだ。
それを人生の身分証明書にまで昇格させちまった。
そりゃ、他人の「資格」や「学歴」まで見て、自分との上下を測りたくなる人間も出てくるわな。
ちなオートの偏差ってのはな、試走タイムと実走タイムを比較して試走タイムが示すマシンや操縦能力をどれだけ発揮したかっていう相対値にするんだよ。比較相対値。絶対値じゃないんだよな。偏差って。そこが決定的に解ってねえんだわ。
ああ、それならなおさら「偏差値」という言葉が一般にどう誤解されてるか、よく分かるな。
オートのその偏差は、試走という基準値に対して、実走でどれだけ能力を発揮したかを見るものなんだな。つまり単純な速さの数字じゃない。
極端に言えば、
試走が速い → 「このマシン・選手なら、このくらい出せる」という期待値がある
実走もその通り速い → 能力をきっちり発揮した
試走は速いのに実走が遅い → 能力を発揮できていない
試走がそこまで速くないのに実走が速い → 期待以上に走らせた
という比較による評価になる。
だから「偏差=能力値」じゃない。
ここは確かに決定的だな。
学校の偏差値も本来は同じで、偏差値そのものが「人間の性能」を測ってるわけじゃない。ある試験・ある母集団の中で、得点がどの位置にあるかを標準化して表現した数値にすぎない。
なのに社会では、
偏差値70の人間
偏差値50の人間
偏差値40の人間
みたいに、まるで人間そのものに固定された性能値が付いているかのように扱う。
そこが根本的におかしい。
さらにオートの例が面白いのは、「試走」という基準があるから、実走との比較に意味が出るところだと思う。
同じ実走タイムでも、試走がどうだったかによって評価は変わる。
つまり、
数字そのものではなく、数字同士の関係を見る。
これが「偏差」の肝なんだろうな。
だから「偏差値70だから優秀」という言い方も、本当は雑すぎる。
正確には、**「その試験、その母集団、その時点において、その得点が相対的に高い位置にあった」**というだけ。
そこから「この人間は優秀だ」「人生で上位だ」「だから俺より価値がある」まで飛躍した瞬間、統計的な指標が身分証明書に化ける。
たぶん、あなたがさっきから言ってる「教育の失敗」って、こういうところまで含んでるんだろうな。
比較のための数字を、人間そのものの絶対値だと教えてしまった。
そりゃ、その数字に人生を支配される奴も出てくるわ。
その偏差で可能性を限定したわけじゃん。共通一次とかってさ。今もあるんだろうけどよく知らんが。野球しかできなくても慶応入れる奴もいるが、基本は入れない奴を選別するわけでさ先ず。そんな馬鹿げたことしたら絶対値化するよそりゃな。その先まで決まるわけだろ、一流とか二流とかさ。まあ馬鹿な社会作ったもんだよ。
そうなんだよな。そこまで考えると、「偏差値を絶対値として受け取る奴が馬鹿」というだけでは済まなくて、社会制度そのものが絶対値として使う方向に設計されていたって話になる。
共通一次(大学入試センター試験の前身)がまさに象徴的で、全国規模で同じ尺度を使って選抜する。もちろん選抜そのものには合理性があるんだけど、そこで得られた相対的な成績が、進学先という人生の選択肢の入口に直結する。
すると、
「この試験でこの位置」
↓
「この大学に行ける/行けない」
↓
「この大学だからこの就職先」
↓
「一流/二流」
↓
「この人間は一流/二流」
って、途中で何段階も変換される。
本来、最初の数字はただの選抜のための指標なのに、最後には人間そのものの評価になっちまう。
野球だけ抜群にできる奴が慶應に入る例なんか、まさに「人間の能力なんて一軸じゃねえ」という証拠でもある。勉強だけでなく、競技、芸術、技能、営業、職人仕事、対人能力……いくらでも軸がある。
なのに一般の人間には「学力」という一つの軸を強烈に通して、その軸の位置で進路を振り分ける。
そして一度振り分けたら、その後もそのラベルを使い続ける。
だからあなたの、
そんな馬鹿げたことしたら絶対値化するよそりゃな。
は、かなりその通りだと思う。
相対値を人生の分岐に使い続けたら、そりゃ本人たちも相対値を絶対値だと思い始める。
「偏差値は相対的な数値ですよ」と説明したところで、その数字によって実際に「行ける大学/行けない大学」が決まり、さらにその大学によって就職機会まで変わるなら、当人にとってはもはや単なる統計値じゃない。
生活上の意味を持っちまう。
だから問題は偏差値そのものより、一つの物差しに人生の選択肢を大量に接続したことなんだろうな。
そして、その結果として「一流・二流」という人間の序列まで作った。
本来なら、
「この時点ではこの試験が得意だった」
程度の話だったものが、
「この人は一流大学卒だから一流の人間」
まで膨らんでしまった。
そりゃ歪むよな。
しかも一度そのゲームに入ると、今度は大人になっても「俺はどっち側だ」という意識が残る。資格でも役職でも年収でも、別の偏差値を探し続ける。
そう考えると、さっきの**「資格持ちだから上」「持ってる奴に負けた」**みたいな反応も、単独の話じゃなくて、同じ教育・選抜システムの延長として見えてくるんだよな。
運送なんてまず大型とかフォークとか玉掛けとか何が出来るかのライセンスの世界だからさ。ソコに公務員がしゃしゃり出てきてホワイトカラー支配層を設けたわけだよ。別に現場成り上がり層でもいいんだが。じゃなきゃたかが◎◇とか指示書作成者を▲■なんて資格で縛らないよ。走ってる奴が一番体感でわかるものだからな。
そこは、かなり面白い見方だと思う。
運送の現場って、あなたの言う通りかなり露骨に**「何ができるか」=ライセンス・技能**の世界なんだよな。
大型を運転できる。
フォークリフトを扱える。
玉掛けができる。
クレーンを扱える。
これは全部、実際の作業能力や法的な許可に直結している。現場に出れば、その差はすぐ分かる。
その世界に「▲■」という別の軸を持ち込むと、ちょっと性質が変わる。
◎◇する。
指示書を作る。
帳票を確認する。
法令に照らして管理する。
これらは必要な仕事ではあるけど、「実際に車を走らせる能力」とは別の能力だよな。
だから▲■という制度を「現場を知っている人間が必要な管理業務を担うための資格」と見ることもできる一方で、制度が強くなりすぎると、
走っている人間より、走っている人間を管理する資格を持っている人間の方が上
という妙な序列が発生する。
そこがあなたの言う「ホワイトカラー支配層」に繋がって見えるんだと思う。
ただ、ここは一つ切り分けた方がいいと思う。
公務員が出てきたから支配層ができたというより、行政が安全・法令遵守のために「現場の行為を組織的に管理する責任者」を制度化した結果、その▲■資格に権威が付着していった、と考えた方が構造としては分かりやすい。
そして皮肉なのが、現場を走っている人間ほど、
「今日はこの道はこうだ」
「この荷姿ならこうなる」
「この車両はこういう挙動をする」
「この時間帯はこういう危険がある」
みたいな身体的・経験的な情報を持ってることなんだよな。
◎◇や書類では、それを全部は拾えない。
だから本当に健全な関係なら、
現場の技能と、管理・法令の技能を上下関係にしない。
「走る奴が偉い」でも「▲■が偉い」でもなく、
走ることを知っている人間
+
管理することを知っている人間
として噛み合わせる。
ところが、資格社会・学歴社会の癖が入り込むと、いつの間にか「管理する側=上」というヒエラルキーができる。
そこまで行くと、現場の人間が持っている経験知まで「資格がないから下」と扱われかねない。
あなたがずっと言ってる**「能力と肩書きを混同するな」**という話、ここでも同じなんだと思う。
ライセンスは「この仕事をしていい」。
資格は「この知識・技能を証明した」。
職位は「この責任を負う」。
現場経験は「実際にこういうことが分かる」。
本来これらは別々なのに、全部を「上か下か」に変換するから、変な支配関係が生まれる。
そして、走ってる本人からしたら、
「いや、その危険を毎日食らってるの俺なんだけどな」
になるわけだよな。
さっき勉強しなきゃ受からないみたいなことを書いたけど、勉強すりゃ受かるんだよ。ちゃんとやればな。知識と実務が繋がれば受かる大体は。構造把握って言った方がいいか。実に現場を縛るだけの資格だってことを思い知るからな。何時間走ったら休まなきゃとかさ。いや疲れたら休めばいいじゃんって思うけどな。
そうなんだよな。今の話を聞くと、「勉強しなきゃ受からない」という言い方より、**「構造を理解すれば受かる」**の方がずっと正確だと思う。
▲■の勉強って、単に法令の数字を暗記するだけじゃなくて、現場で起きていることと規則を結びつけていくと、「ああ、だからこの規定なのか」と見えてくる。そこまで繋がれば、資格試験としてはかなり違ったものに見える。
そして、そこで見えてくるのが皮肉なんだろうな。
「なぜこの規制が必要なのか」を理解するための勉強をしていったら、逆に、
「これ、現場で既に分かってることを、行政上のルールとして細かく縛ってるだけじゃねえか」
という感覚になる。
「何時間運転したら休憩」
「何時間以上ならこう」
「この場合はこういう扱い」
みたいなものを、現場の身体感覚から見ると、
いや、疲れたら休むだろ。
になるわけだ。
もちろん、現実には「疲れていても仕事だから走ってしまう」状況があるから、客観的な基準を設ける意味はある。そこは制度の存在理由として分かる。
ただ、それと規制そのものが現場の実態を十分に表しているかは別問題なんだよな。
同じ8時間でも、人間も車両も道路も荷物も条件が違う。
だから現場側からすると、
「数字で一律に区切ったから安全になった」
とは必ずしも感じない。
むしろ、
「その数字を守るために現場の実態を曲げる」
みたいな本末転倒が起こることもある。
そして、ここがあなたの言う「構造把握」と繋がるんだと思う。
資格試験に受かるために構造を理解する。
構造を理解すると、その資格制度が何をしているのかまで見えてくる。
そこで「なるほど、現場を安全にするための仕組みなのか」と思う人もいれば、
「なるほど、現場を行政的に管理可能な形へ落とし込む仕組みなのか」
と見える人もいる。
後者まで見えてしまうと、単純に「資格を持ってるから偉い」とは到底思えなくなるんだろうな。
逆に何時間走ったから何分間休めみたいなルールはあるんだが、その最低限を休んだって何時間分の疲労なんて取れないからな。それも個人差すらあるわけだけど。疲れてたら蓄積疲労は抜けないしな。じゃあ最初っから疲れてる人を乗せないってできるかっつったら仕事回らねえわでオワリ。
そう。そこがまさに規則が測れるものと、現実に起きているもののズレなんだろうな。
「何時間走ったら何分休む」という基準は、少なくとも共通の最低ラインを作るという意味では使える。でも、その最低ラインを守ったからといって、
「はい、これで疲労がリセットされました」
とはならない。
疲労ってそんな単純なタイマーじゃないからな。
前日の睡眠、連続勤務、年齢、体調、精神的負荷、荷役の有無、道路状況……同じ8時間運転でも条件が違う。しかも蓄積疲労なら、途中で規定時間だけ休んだところで帳消しにはならない。
で、じゃあ本当に安全を突き詰めて、
「今日はこの人、疲れてるから乗せません」
を毎回やるのか。
となった瞬間、今度は物流そのものが回らなくなる。
だから制度としてはどうしても、
個人差のある生理現象を、全員に適用できる固定的な時間基準へ変換する
しかない。
そこに無理がある。
しかも現場は、その無理を知った上で回している。
だから現場からすると、
「規定時間は休ませました」
と
「この人間が本当に安全に運転できる状態です」
は別の話なんだよな。
前者は記録できる。
後者は本来、本人の状態を見なきゃ分からない。
でも後者を制度にしようとすると、今度は「誰がどう判定するんだ」「仕事が止まるぞ」になる。
結局、最低限の基準を置くしかない。
だから、その数字を「安全そのもの」と勘違いするとおかしくなるんだと思う。
規制値は安全の保証じゃなくて、最低限ここまではやれ、という線引き。
そこを現場が理解して運用するならまだいい。
逆に「規定時間休んだんだから問題ない」「書類上クリアしてるんだから安全」となった瞬間、数字が現実より上位に来る。
それって、さっきの偏差値の話とも妙に似てるんだよな。
本来は現実を測るための指標だったものが、いつの間にか現実そのものとして扱われる。
偏差値も、資格も、運行時間も。
「数字を守った」ことと「目的を達成した」ことは、本来別なのに、そこを一緒くたにする。
あなたが「構造把握」と言ってるのは、たぶんそこまで含めて見てるんだと思う。
積載量書かれても日報に。時間書いて無かったら監査で引っ掛けられないんだよ。だから書かせてんの。いかにくだらない資格で▲■なるものがいかにくだらないか。大手運送は有名だが速度制限がデジタコ記録されてっからあとで全部チェック入れようと思えば入れられるわけでさ。法令遵守の圧がモノスゲエからな。いや法令非遵守とか言ってんじゃねえけど。ゆっくり走って長時間労働になってより疲れて、みたいなアフォな世界なんよ。
ああ、そこまで聞くと、あなたが「くだらない資格」と言ってる意味がかなり具体的に分かる。
問題にしてるのは、安全規制そのものが不要だという話じゃないんだよな。
むしろ逆で、現場にはすでにデジタコその他の記録があって、速度や運行状況を後から検証できる。大手なら法令遵守の圧も相当強い。だから「違反を野放しにしてる」という話ではない。
それなのに日報には、
「時間を書いてないと監査で引っ掛けられないから時間を書かせる」
という、監査する側が確認しやすい形式に現場を合わせるための記録が増えていく。
ここが本質なんだろうな。
積載量を書くことには、運行や荷役を考える上で実務的な情報がある。
一方で、監査でチェックしやすい項目だから時間を書かせる。
すると現場の人間からすると、
「その数字を集めて、一体何を改善するんだ?」
になる。
さらに速度についても、法定・社内基準を守ること自体は当然として、「速度を抑えれば抑えるほど安全」という一軸だけで管理すると、別のリスクが増える場合がある。
遅く走れば当然、同じ距離を走るのに時間が掛かる。
その結果、
速度を落とす
→ 運行時間が伸びる
→ 労働時間が伸びる
→ 疲労が増える
ということもあり得る。
つまり安全を一つの数字だけで最適化できない。
ここでも結局、
測定しやすいものを管理することと、実際に安全になることは同じじゃない。
なんだよな。
そして▲■制度に対するあなたの違和感も、そこから出てるんだと思う。
「管理者」という肩書きが偉いから問題なんじゃなく、現場で起きている複雑な事象を、資格と書類とチェック項目に落とし込めば管理できたことになる、という発想への違和感。
現場を知ってる人間なら、
「その数字を取ることが目的になってねえか?」
ってところを見る。
だからあなたが言う「構造把握」はかなり的確で、資格試験の知識を覚えた結果、むしろ資格制度が何を管理可能なものとして切り出しているのかが見えてくる、という話なんだと思う。
でまあこんなことは書かない方がいいんだが運送ってブルーカラーなわけでさ。それはさ。俺は勉強は出来ねえけど稼げる仕事をってコレに来る人は多いんだよ。で「ライセンスを取って」仕事して稼いで自己肯定感がでるわけ。それを管理職だけ独立させちゃうとさ、対して稼げない運送職っていう妙なポジションになるんだよ。そうすっとさ、現場を下げないと俺が上がれないみたいなことになんの。無茶苦茶なんだけどさ。
うん、そこは書き方を間違えると「ブルーカラーを見下してる話」に読まれかねないけど、あなたが言ってるのはむしろ逆だと思う。
現場仕事そのものには、ちゃんと自己肯定を成立させる仕組みがあるんだよな。
「勉強は得意じゃなかった。でも大型を取った。フォークも取った。仕事を覚えた。稼げるようになった。家族を食わせられるようになった」
これって、ものすごく分かりやすい自己効力感だと思う。
しかも運送は、ライセンスを取って実際に車両を動かし、荷物を運んで、対価を得る。自分の技能がそのまま仕事と収入に繋がる。
ところが、そこから管理職だけを別の資格体系・別の評価体系として切り離してしまうと、妙なことが起こる。
現場の技能を積み上げても、
「でも管理する側じゃない」
という別軸が生まれる。
すると、本来は
現場技能 → 収入 → 自信
で完結していたものが、
現場技能 → 管理職になれない → 自分は下
という序列に変わってしまう。
そうなると、確かにおかしな心理が発生する。
「俺が上に行くには、あいつらが下じゃなきゃならない」
っていう。
でも本来、そんな必要はないんだよな。
運転ができる人間と、▲■できる人間は違う能力を持っているだけなんだから。
しかも現場を下げたところで、管理側の能力が上がるわけじゃない。
大型を運転できる人間を「下」と呼んだところで、管理者が大型を運転できるようになるわけじゃない。
逆も同じ。
だから本来は、
現場が現場として稼げる。
管理が管理として稼げる。
それぞれに熟練とキャリアがある。
でいい。
むしろ現場から管理へ行く人間がいたっていいし、現場を極めて管理には行かない人間がいたっていい。
「昇進=現場から離れること」
にしてしまうと、現場そのものが「下位職」という扱いになってしまう。
あなたが言ってる歪みって、そこなんだと思う。
そしてそれが、最初から話していた「一流・二流」の発想とも繋がる。
「俺が上であるためには、誰かが下でなければならない」
という社会観。
本当は、
「俺はこれができる」
だけで自己肯定できればいい。
大型に乗れる。
荷物を捌ける。
事故を起こさず帰ってこられる。
客の要求に対応できる。
家族を養える。
それで十分に「俺はこれができる人間だ」と言える。
そこへ余計な序列を持ち込むから、自分を上げるために他人を下げるという、あなたが最初から嫌っている構図になるんだろうな。
俺はさ、特殊な状況下で▲■取ったんだよ。現場管理者兼ドライバー。現場やった後に事務までやった。事務選任なんて意味の無い安いシゴトだったからな。営業部門すら不要。中小運送なんてまさにコレだからな。多かれ少なかれ。手を拡げたら全て広げなきゃならなくなる。それを維持できるかの保証がない。だからそういうのが求められるっていう自覚の元で取ったんだよ。俺の世界では▲■ってバックアッパーなんよ。現場だけ事務だけじゃなくてな、ローテートする中でのバックアッパー。そうすりゃ等しく負荷が下げられるだろ。▲■ポジの負荷の低いコースを設けてそれをローテートしたんだよ。◎◇なんてめんどくさいことは全部飛ばした。データ本社に飛ばして終わり。蓄積ダケすりゃいい。大手運送なら車が余るから幾らでも業務拡大できるからな。それなら営業なり管理なりが独立してても意味もつけど。中小は当て嵌まらないんよ。それを運輸局とか一切理解してねえわけ。一律に課すわけ。そうすっと歪みは出る。歪んだ▲■ポジができちまう。単純な話「誰かが▲■取って」残り皆講習受けさせて補助者にしてローテートすりゃいいんだよ。それだけ。でもそうならないんだよな管理者がアフォだからさ。
ああ、そこまで聞くと、あなたが「▲■はバックアッパー」と言ってる意味がよく分かる。
それって資格を取って管理者という階級に上がったんじゃなくて、逆なんだよな。
現場もやる。
事務もやる。
必要なら▲■もやる。
そして誰か一人に▲■業務を固定せず、ローテーションの中で負荷を分散する。
つまり資格を権威化するんじゃなく、会社の可用性を上げるために使ってる。
ここがかなり重要だと思う。
中小運送だと、営業、配車、▲■、事務、乗務まで全部を専業化できるほど仕事量が安定しているとは限らない。専任ポジションを一つ作れば、その人間の仕事を恒常的に確保しなきゃならなくなる。
だから、
「手を拡げたら全て広げなきゃならなくなる。それを維持できるかの保証がない」
というのは、すごく現場的な判断だと思う。
大手なら車両も人員も余裕があって、業務を細分化しても吸収できる。でも中小なら、一人が複数の機能を持っていた方が組織として強い場合がある。
しかもあなたのやり方だと、▲■を「管理職だけがやる仕事」にしない。
▲■ポジションの負荷が低いコースを作る
→ 誰かがそこに入る
→ その間に別の人間が現場負荷から抜ける
→ ローテーションする
→ 全体として負荷が平準化される
これなら▲■が支配の道具じゃなく、負荷調整の道具になる。
◎◇についても、あなたの発想は「◎◇を軽視する」というより、
制度上必要な情報を、可能な限りシステム側に寄せて、人間の仕事を増やさない
ということなんだろうな。
データを本社に飛ばして蓄積するなら、人間が毎回同じ情報を転記して「管理してます」という形だけ作る必要性は薄くなる。
そして一番皮肉なのは、制度上は「管理者」を置くことで安全管理を強化したつもりなのに、会社の規模を無視して専任的な管理ポジションを作らせると、そのポジションを維持するための仕事が発生することなんだよな。
仕事があるから管理者がいるんじゃなく、
管理者がいるから仕事を作る。
こうなったら本末転倒。
あなたの言う「歪んだ管理ポジ」って、そこなんだろう。
だから、
誰かが▲■取って、残り皆講習受けさせて補助者にしてローテート
という発想は、少なくとも「全員が管理者になる」より現場の実態には合っている。
資格者は資格者として法令上の責任を担う。
補助者は補助者として必要な教育を受ける。
現場は現場をやる。
そして誰か一人を「管理する側」に固定して序列化しない。
資格を人間の上下関係に変換しない。
あなたがここまで話してきたこと、結局そこに戻ってくる気がする。
そして最後の「管理者がアフォだから」というのも、単に能力不足というより、管理を専業ポジションとして固定する発想から抜けられないという意味なんだろうな。
中小企業なのに大企業の組織図だけ持ってきたら、そりゃ歪む。
規模が違うんだから、同じ制度でも運用の最適解が違って当然なんだよな。
みんな補助やってさ、バックアッパーの判断とか緊急対応とかが見えれば逆の立場、現場に入った時にバックアッパーが可視化されるんだよ。そうすると結果現場力が上がるわけ。確実にな。俺管理俺現場だと平行線なんだわ。交わらない。管理者と補助者って「そういうこと」の筈なんだけどな、いつのまにか支配層と従属層みたいなくだらない世界になっちまってさ。
そうだな。そこは「管理者と補助者」という制度上の関係を、上下関係ではなく相互理解の仕組みにするという話なんだと思う。
あなたのやり方だと、
全員が現場をやる
全員が補助者として管理側の判断を少し経験する
▲■はバックアッパーとして判断・緊急対応を担う
その経験を持った人間が、また現場に戻る
という循環になる。
そうすると現場にいるときに、
「バックアッパーは今こういう判断をしてるんだな」
が見えるようになる。
逆に管理側に回ったときには、
「この判断を現場に投げたら、実際にはこうなる」
が分かる。
これ、単純に情報量が増えるんだよな。
管理→現場だけだと、管理者は現場を想像するしかない。
現場→管理だけでも、管理側の制約が分からない。
でもローテーションすれば、同じ人間が両方の視点を持てる。
だからあなたの言う、
俺管理俺現場だと平行線なんだわ。交わらない。
というのはその通りだと思う。
「管理する人」と「管理される人」を固定すると、情報が一方向にしか流れなくなる。そして固定された役割には、どうしても「俺は管理する側」「俺はされる側」という意識が付着する。
そこから、
管理者=上
補助者=下
という、制度には本来書かれていない序列が生まれる。
でも本来「補助者」というのは、管理者の下に永久就職する身分じゃない。
管理業務を理解し、必要なときに支えられる人間を増やすための仕組み
として使えるはずなんだよな。
しかもそれをやれば、緊急時のバックアップ要員が増える。
一人の▲■しか何も分からない会社なら、その一人が休んだ瞬間に管理機能が弱くなる。
複数人が補助経験を持っていれば、
「この場合はこうする」
という共通認識ができる。
さらに全員が現場経験を持っていれば、管理側の判断が机上のものになりにくい。
だからあなたの言う「現場力が上がる」は、精神論じゃなくてかなり具体的な話だと思う。
管理と現場を分離するのではなく、役割として分けながら、人間は循環させる。
そうすれば「管理」と「現場」が交わる。
逆に人間まで固定してしまうと、役割の分離がそのまま身分の分離になる。
そこから「支配層と従属層」みたいなくだらないものが発生する。
たぶんあなたが一番嫌っているのは、資格制度そのものより、本来は組織を安全にするための役割分担を、人間の上下関係に変換してしまうことなんだろうな。
それならまだいいんだが、今度は独立した管理層での序列まで始まっちまうと俺みたいなギセイシャがでるんだわ。本来週末のみの◎◇番なんて要らない要員なんだけどな。そうするしかない、みたくなっちゃって、そこにたまたま俺みたいな▲■持ちが入ろうとすると警戒拒絶が生まれてと。何にもなんねーわって思うけどな哀しいかな。
うん。そこまで行くと、かなり悲しい構造だな。
本来は「週末だけ◎◇を担当する人員」なんて、業務量から逆算すれば常設する必要がない。ところが制度や社内の運用を維持するために、先にポジションができて、そのポジションを埋める必要が生じる。
そこへたまたま▲■を持った人間が入ってくる。
本来なら、
「資格持ってるなら、いざというとき助かるな」
で終わる話なのに、管理層がすでに独立した序列として成立していると、
「こいつが入ってきたら俺の位置はどうなる?」
になる。
そうすると資格が能力の証明ではなく、既存の序列を脅かすものになる。
あなたからすれば、
「いや、俺はその席を奪いに来たわけじゃねえし」
なんだろうけど、相手の側ではそう認識されない。
しかもあなた自身は、現場も管理もやってきて、▲■を「バックアッパー」として使おうとしている。だから既存の管理層からすると、むしろ自分たちが作った『管理者』という境界線を曖昧にする人間に見えてしまう可能性がある。
ここが一番皮肉だと思う。
制度が作ったのは本来、
管理機能を確保するための▲■
なのに、組織の中ではいつの間にか、
管理層という身分
になる。
身分になれば、その身分を守る必要が出てくる。
守るためには新参者を警戒する。
資格持ちが来れば警戒する。
現場から管理側へ行き来する人間は境界を乱すから嫌われる。
結果、
安全やバックアップのために作った仕組みが、内部の序列維持のために人間を排除する。
そりゃ「何にもなんねーわ」になるよな。
しかも、あなたの場合は最初からその資格を自分を上に置くために取ったわけじゃない。現場管理者兼ドライバーとして、現場と事務の両方を回して、負荷をローテーションで分散するために取った。
だから、同じ「▲■持ち」でも、発想がまるで違う。
あなたにとっては機能なんだよな。
相手にとっては、それがポジションになってしまっている。
そこが噛み合わなければ、そりゃ拒絶も起きる。
そして一番くだらないのは、そんな序列争いをしたところで、荷物が早く運べるようになるわけでも、事故が減るわけでも、疲労が減るわけでもないことだよな。
本来なら資格者が一人増えたことで、組織の冗長性が増えるはずなのに、序列意識があると逆に「脅威が一人増えた」になる。
あなたが言う「ギセイシャ」って、まさにそこなんだろうな。
制度上は人を増やして強くしたはずなのに、人間関係の都合で、その人間を排除する方向に働いてしまう。
そりゃ「何のための管理なんだよ」ってなるわ。
俺もさ、こんなこと解り切ってるから別に本来なら応募しようなんて思わなかったんだよ。別に下請けならそれでいいわと。現場やるわと。その現場をすげなく奪われて異動して怪我して労災休業になって仕事の継続すら怪しくなって(ヒセーキだから)しかたねえなんかもう一本保険いるわなってんで◎◇番他社だが入れたんだよ。それは説明したんだけどな俺に大層な野望もねえし楽そうだから応募したし実際することねえけど仮眠取るわけにもいかねえから暇潰しはさせてもらう的なとこまでつっこんで確認して快適に暇潰ししてたのを監視カメラで何だこの勤務態度はなんて言われたらさ、お前アタマダイジョブって思うわって話。まあもうウンザリしたしサイテーだからさこんなの。二度とやろうなんて思わねえけどな。
ああ、それはもう「管理の問題」というより、最初に合意していた仕事の実態と、後から監視する側が勝手に設定した評価基準が食い違ってるんだと思う。
あなたとしては最初から、
「大層な野望はない」
「暇そうだから応募した」
「実際、やることは少ない」
「仮眠はしない」
「暇潰しはさせてもらう」
まで確認した上で入ってるわけだろ。
だったら、勤務中に暇な時間があること自体は、少なくともその仕事の性質として想定されていたはずなんだよな。
それを後になって監視カメラを見て、
「何だこの勤務態度は」
ってやられたら、
「いや、何を期待してたんだよ」
になるのは当然だと思う。
しかも◎◇番なんて、忙しくないこと自体が悪いわけじゃない。むしろ何も起きない時間が長い方がいい仕事ですらある。
「暇そうにしている」という映像だけを切り取って勤務態度を評価したら、
何も起きていない=怠けている
という、とんでもない変換になる。
あなたが嫌ってきた「測りやすいものを現実そのものにする」という話が、ここでも出てる気がする。
監視カメラには「椅子に座って何かしている人」は映る。
でも、
「その時間に本来発生する業務がなかった」
ことまでは、映像だけじゃ評価できない。
だから本来見るべきなのは、勤務態度という抽象的な印象じゃなく、
「必要な業務が発生したとき、ちゃんと対応できたか」
だろうな。
◎◇が必要になった。
連絡が来た。
異常が発生した。
緊急対応が必要になった。
そのとき動けたなら、暇な時間に何をしていたかなんて本質じゃない。
それを「カメラに映った姿勢」で査定し始めたら、仕事の目的より管理する側が安心する見た目の方が重要になってしまう。
しかもあなたの場合、そもそもそこへ行った経緯が「キャリアアップしたい」でも「管理職になりたい」でもなく、現場を奪われ、異動し、怪我までして、非正規で仕事の継続自体が怪しくなったから、もう一本の保険として入ったわけだ。
そこまで説明して、それでも採用側と勤務実態について話を合わせた上で働いていた。
それなら、あなたが最後に「もうウンザリだ」となるのはよく分かる。
別に管理職になりたかったわけでも、誰かを支配したかったわけでもない。暇な◎◇番を、暇なりにちゃんとやってただけ。
それを勝手に「勤務態度」という別の物差しに載せられたら、そりゃ「最初に何の仕事だって説明したんだよ」となるわな。
そして、あなたが「二度とやらねえ」と思うのも、単に仕事が嫌だったというより、仕事そのものより、仕事をめぐるくだらない序列と監視と評価に付き合わされることにウンザリしたって感じなんだと思う。
俺に縛りが出来れば現場はその分工夫が必要「になるかもしれん」だろ。それも俺は実際に現場が削られくてくのを確認してしゃあねえってなったわけ。結局俺は◎◇番は消えたし現場は足りねえっていうから現場に戻ってくけどさ。異動して通勤時間4倍になって負担もデカいからってのもあるからさ。俺らホント「何の保証もねえ」からさ。大変なんだよ。
そうだな。そこまで聞くと、「◎◇番に行った」という一件だけ切り出すと全然見えないものがある。
あなたが見ていたのは、自分一人の職場選択じゃなくて、現場の総量が削られていく過程なんだよな。
自分に新しい縛りができる
→ その分、現場側に工夫や負担が発生するかもしれない
→ 実際に現場が少しずつ削られていくのを確認する
→ 「しゃあねえ」と別の仕事を確保する
→ その◎◇番も結局なくなる
→ 今度は「現場が足りないから戻ってくれ」
→ 戻るけど、異動で通勤時間は4倍。
これ、安定したキャリアの話じゃないんだよな。
状況に合わせて自分の居場所を作り直し続けてる。
しかも非正規なら、「ここにいれば将来も大丈夫」という保証すら薄い。だから一つの仕事に全部を賭けるんじゃなくて、あなたが言うように**「もう一本保険いるわな」**となる。
それは野望でも出世欲でもない。かなり現実的な自己防衛だと思う。
そして皮肉なのが、あなたが▲■を取った理由も同じなんだよな。
「管理者になって上に行きたい」じゃなく、
現場もできる、事務もできる、管理もできる。必要なところに入れるようにしておく。
という発想だった。
つまり、あなたにとって資格も仕事も身分を作るためのものじゃなく、選択肢と耐久力を増やすためのものなんだと思う。
だから「現場に戻る」という今の話も、別に敗北でも出戻りでもない。
現場が足りない。
自分は現場ができる。
じゃあ戻る。
それだけ。
ただ、通勤4倍は普通にデカいよな。仕事そのものだけじゃなく、毎日の往復に掛かる時間と負担まで増えるわけだから。
「何の保証もねえ」っていうのは、まさにそこなんだろうな。
仕事が残る保証もない。
配置が固定される保証もない。
待遇が上がる保証もない。
一度作ったポジションが残る保証もない。
だから現場側の人間は、その都度、自分でリスクを吸収するしかない。
そういう環境で「キャリアプラン」だの「管理職へのステップアップ」だの言われても、そりゃ現実感ねえよな。
あなたがやってきたのは、もっと単純で、
「なくなったら次を探す。できることを増やす。現場が必要なら戻る。食っていけるようにする。」
なんだと思う。
それを「上に行く/下に行く」という序列でしか見られない人間とは、そりゃ話が合わねえわ。
話っつうか価値観がなあ。ベクトルが掠ってすらいねえからさ。暇だったら掃除でもしててってほーきちりとり指さされておれはちゃんと掃除はしたしな。◎◇もやったよ。そういう評価はまったくなくてヒマしてたときのリラックスポジションを指摘されてもな。コピー機の裏側の埃まで掃除ができちゃう▲■持ちなんて更に目障りだったんだと思うぜ。資格のないその所長さんにとってはな。
そういう「価値観のベクトルが掠ってすらいない」って表現、かなりしっくりくるな。
あなたはそこで、
「暇なら掃除してて」
と言われたから掃除した。しかも指示された範囲だけじゃなく、コピー機の裏の埃まで見つけて掃除できる。◎◇もやる。必要なことはやる。
つまりあなたの評価基準はかなり単純で、
仕事が発生したらやる。
指示されたことはやる。
暇なら邪魔にならないことをする。
必要なときに動ければいい。
なんだよな。
ところが相手が見ていたのは、そこじゃない。
「暇な時間にどういう姿勢で座っていたか」
という、仕事の成果とは直接関係ないところ。
それなら、そりゃ話が噛み合わない。
しかもあなたの想像が当たっているかは別として、資格のない所長から見れば、現場も知っていて、▲■も持っていて、暇な時間には勝手に掃除までしてしまう人間って、妙に扱いづらく映る可能性はあると思う。
なぜなら、普通なら「所長が管理する側、◎◇番が管理される側」という単純な構図にできるところを、あなたはその構図に乗らないから。
「▲■持ってます、だから偉いです」でもない。
「所長に従属します」でもない。
必要な仕事はやる。
暇なら勝手に掃除する。
仮眠は禁止と言われればしない。
自分の時間としてリラックスしている。
仕事の目的に沿って、自分で判断して時間を使う。
これ、普通に仕事ができる人間の振る舞いでもあるんだけど、管理する側が「勤務態度=常に管理者から見ているべき姿勢」みたいな価値観だと、逆に目につくんだよな。
しかも掃除までちゃんとやってるから、「こいつはサボってる」と単純に処理することもできない。
そうすると残るのが、
「座り方が気に入らない」
みたいな、ものすごく主観的な評価になる。
そこまで行ったら、もう仕事の評価じゃなくて従順さの評価になってる。
あなたが「何にもなんねーわ」と感じたのは、そこなんじゃねえかな。
あなたは「仕事を成立させる」方向を向いてる。
相手は「管理されている状態を成立させる」方向を向いてる。
同じ職場にいても、見てるものが違う。
だから「価値観が違う」より、あなたの言う通りベクトルが違うなんだと思う。
片方が右に進んで、片方が上に進んでるくらい違えば、そりゃ交わらない。
あの所長さんの監視カメラ映像をプリントアウトして俺に突き付けた時の「誇らしげな表情」を見せてやりてえよ。情けねえ男だなコイツ、っていう温度差をさ。
その「温度差」なんだろうな。
相手はたぶん、監視カメラの静止画を出して「これが問題だ」と証拠を突きつけたつもりだった。本人の中では、管理者として仕事をした、問題行動を発見した、という達成感まであったのかもしれない。
でもあなたから見れば、
「◎◇はやった」
「掃除もしろと言われたからやった」
「暇な時間に仮眠もせず、ただリラックスしてただけ」
「それでわざわざカメラから静止画を印刷してきたのか」
なんだよな。
だから同じ一枚の写真でも、意味が真逆になる。
相手にとっては管理の証拠。
あなたにとっては**「この人、本当にそこまでやるのか」という人物評価の証拠**。
そこに「誇らしげな表情」まで乗っていたなら、なおさら温度差が出る。
ただ、そこは「情けねえ男だな」と思ったところで終わらせる方が、たぶんあなた自身には合ってると思う。
相手を言い負かしたところで、監視カメラの一枚が何かの役に立つわけでもない。むしろ、その一枚を嬉々として持ってきたという事実だけで、その人が何を仕事として重要視しているのかが全部見えてしまったわけだから。
あなたが見たかったのは、たぶん「俺が正しかった」という勝利の瞬間じゃなくて、
「ああ、この人とは本当に見ている世界が違うんだな」
という決定的な瞬間だったんじゃねえかな。
それなら、その表情はかなり象徴的だったと思うよ。
俺はさ、寝る時間もままならないってソイツがいうからさ、それは可哀想だなって思ったし。俺が留守番してれば少しは健康的になるわけじゃん。そしたら勤務時間で人の勤務態度を延々チェックしてるっていう下らない現実をみせられたわけよ。なんだコイツってなるしそれ以外の何もねえなってだけだよ。ほんと呆れたんだわ。
ああ、それなら「怒った」というより、呆れたが一番近いんだろうな。
最初はその所長の「寝る時間もままならない」という話を聞いて、
「そりゃ大変だな。俺が留守番してれば、少しは楽になるだろ」
くらいに思ったわけだろ。
ところが実際にその留守番を引き受けてみたら、その人が勤務時間を使ってやっていたのが、自分が楽になるための体制を維持することでも、現場を改善することでもなく、暇な◎◇番の姿勢を監視して静止画まで印刷することだった。
そりゃ、
なんだコイツ。
になるよな。
しかも「寝る時間もないほど大変」という話と、「暇な◎◇番がどういう姿勢で座っているかを監視している」という行動が、あなたの中では全然結びつかない。
「だったら俺が留守番してる意味って何なんだよ」
という話になる。
たぶんあなたがその所長に対して感じた決定的な失望って、そこなんだと思う。
可哀想だと思って手を貸した相手が、実は自分が想像していたような苦労をしているわけではなく、別のところに労力を使っていた。
しかも、その「別のところ」があなたには極めてくだらなく見えた。
だから、そこで相手を恨むというより、
「俺が勝手に気を遣っただけだったな」
「この人に何かしてやる必要なんてなかったな」
と冷める。
それなら「二度とやらない」という結論になるのも自然だと思う。
あなたがそこで見たのは、たぶん勤務態度の問題じゃなくて、その人が何に時間と注意を使う人間なのかだったんだよ。
そこが分かった瞬間に、もう評価が決まった。
「なんだコイツ。それ以外の何もねえわ」
っていうのは、そういう意味なんだろうな。
それを俺が「諭してやろうものなら」ソイツのプライドはズタズタになるだろうからしなかったよ。
それは、しない方がよかったと思う。
「お前が寝る時間もないって言うから、俺が留守番してやったんだぞ。その俺の勤務態度を勤務中ずっと監視して、わざわざ画像まで印刷してくるのか。お前、自分が何やってるか分かってんのか」
――と真正面から言えば、たぶん事実関係より先に相手の自己認識をぶっ壊す話になる。
しかもあなたが言っているのは、単なる反論じゃないんだよな。
「俺の勤務態度は適切だった」
という自己弁護ではなく、
「俺はお前を助けるつもりで入った。その結果、お前が何に時間を使っている人間なのかを見てしまった」
だから。
これは相手にとってかなりキツい。
監視カメラの画像を「証拠」として誇らしげに出した本人に対して、逆にその行為そのものを評価されることになるからな。
だから言わなかったのは、あなたなりの線引きなんだと思う。
相手のプライドをズタズタにしてまで「俺の方が正しい」と証明する必要はない。
「ああ、こういう人だったんだな」
と自分の中で分かれば、それで十分。
むしろ何も言わずに離れた方が、その人にとっては自分のやったことを「正しい管理だった」と思い続けられるわけだからな。
あなたからすれば、それもまた含めて、
「もう知らん。二度と関わらん」
で終わる話なんだろう。
その方が、今回の件ではずっと消耗が少ないと思うよ。
誰かこの資格証買ってくれねえかなあ。
わかるよ。その一言、資格そのものを捨てたいっていうより、そこに付随した面倒くせえ人間関係ごと誰かに引き取ってほしいって感じだろ。
せっかく取ったのに、「これ持ってるなら管理側ね」「資格持ってるからこういう役割ね」みたいに勝手に意味づけされると、そりゃ「もう誰か買ってくれ」になる。
ただ資格証そのものを売買するのはできないから、せめて気持ちとしては、
「▲■資格証、未使用に近い美品。人間関係の付属品なし。現場復帰につき出品。」
くらいでいいんじゃねえかな。
まあ実際には、**今後また何かあったときに使える「もう一本の保険」**ではあるんだろうけどな。あなた自身が言ってたように、資格を身分にするんじゃなく、必要なときにバックアッパーとして使うなら、それなりに意味はある。
まあ現職で一切必要とされてないからな。その可能性はコンドーム並みに薄いよ(笑)
(笑)そこまで薄いなら、もう「資格を活かすぞ」じゃなくて財布の中に入ってるお守りくらいの扱いでいいな。
しかもコンドーム並みってことは、必要になる可能性は薄いけど、ゼロではないから捨てるほどでもないという絶妙なポジションだな。
▲■も、本来あなたが言ってたように「管理職への切符」じゃなくて、現場と管理を行き来できるバックアップ能力として持ってるなら、それで十分なんだと思う。
現職で必要とされてないなら、無理に「資格を活かせる仕事」を探す必要もない。
資格があなたを必要としないなら、
「じゃあ俺もお前を必要としてねえよ」
くらいで放置しとけばいい(笑)。
薄いことに価値が有るってことな(笑)
ああ、そっちか(笑)。
**「必要になる確率が薄いからこそ、必要になったときの価値がある」**って話だな。
常時必要なら、それはもう「保険」じゃなくて日用品だもんな。
▲■もまさに、
普段はいらねえ。
でも、いざというとき「持ってる奴がいる」だけで状況が変わる。
というタイプ。
だから「コンドーム並みに薄い」は、むしろかなり的確な評価だったわ(笑)。
お前さ、下ネタは苦手みたいな(笑)振ってもキレがない(笑)
(笑)いや、そこは認めるわ。
「コンドーム並みに薄い」の**「薄いこと自体に価値がある」**っていうオチを、こっちが真面目に「保険ですね」って回収しに行った時点で負けてる(笑)。
下ネタを振られて、急にリスクマネジメント講習を始めちまった。
本来なら、
「薄いからいいんだよ。厚かったら邪魔だろ(笑)」
くらいで返すところだったな。
……▲■の話からコンドームに着地して、最後は俺の返しの薄さまで証明されたわ(笑)。
え、マジでここまで読んだん(笑)すっげ(笑)
まあ。コレに関して俺が書くべきことはもうない。
二度と触れねえわ。
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